北海道の入植と屯田兵の関係

北海道開拓に深く関係している屯田兵

北海道の入植と同じタイミングで国の主導で始まったのが屯田兵という制度です。この制度は明治7年に制定されたもので、簡単にいうとこれから開拓が期待される北海道の治安を守るために、軍事訓練をしながら平常時は農業に従事する人たちのことです。普段は農業に従事し農作物を作っていましたが、このころから生産されていた野菜は、今でも北海道の各地で生産されていて、全国と比較しても有数の野菜の生産地になっています。

 

北海道の発展に深く関わった人物

北海道はロシアとも隣接しているので、万が一他国と戦争が始まったときは屯田兵が率先して軍隊の組織を形成して戦う目的があり、日頃から本格的な訓練を積んでいました。江戸時代が終わり新しい明治の時代になって北海道の重要性が増してきたそのタイミングで、最初に屯田兵を設置したほうが良いと主張したのが西郷隆盛だと言われています。なぜ西郷隆盛かというと、北海道の初期の開拓に深く関わっていたのが薩摩藩の人たちだからです。西郷隆盛を慕っていた永山武四郎は開拓使諸官や北海道庁長官を務めて発展に多大な尽力を捧げました。この他にも総理大臣も務めた黒田清隆、黒田清隆がアメリカから連れてきた農務長官のホーレス・ケプロン、初代北海道庁長官の要職に就いた岩村通俊などが先頭に立って屯田兵の制度を確立しつつ、その他の入植者の受け入れも積極的に行いました。

 

北海道の開拓に果たした役割

屯田兵制度が北海道の開拓に果たした役割はとても大きく、現代の住みやすい北海道の住環境にも大きく寄与し続けています。黒田清隆がアメリカから連れてきた農務長官のホーレス・ケプロンの影響もあり、広大な土地を有効活用してアメリカ型の大規模営農を構築していきます。それは農産物だけでなく酪農にも多大な影響があり、現代でも行われている北海道特有の牧畜も、美味しい牛乳を中心に乳製品や牛肉の産地として有名です。また土地の区画整備も当時から屯田兵を中心に行われた経緯があり、札幌の綺麗な区画割も明治の開拓時代から受け継がれています。