富山県と北海道の入植の歴史

富山県からも入植者が移住する

入植が盛んに行われる前の江戸時代から明治にかけて、越中(現在の富山県)から北海道に移り住んだ人がたくさんいます。なぜ富山県から北海道に入植者が多かったかというと、蝦夷から様々な海産物が船で越中地方に運ばれていたからです。当時既に水揚げされていた昆布やニシンが越中に運ばれました。つまり当時から富山県民が北海道の海の幸を食生活に取り入れていたことになります。当時から越中の人達の生活に根付いていたことになります。蝦夷と越中は距離だけ見ると遠いですが、昆布を食生活に取り入れ、魚肥として使われたニシンで農業が行われたこともあり深い交流がありました。

 

屯田兵との関係

その後蝦夷から北海道に名前が変わると日本各地から屯田兵が入植します。このタイミングで北海道と交流があった富山県も入植するための団体移住を奨励しました。そのためにこの時期に富山県から多くの移住者が北海道に入植しました。特に富山県の砺波地方(今の砺波市)から多くの農民が北海道に入植者として移住し、農業を中心として様々な作業に従事した記録が残っています。

 

様々な仕事に従事する

入植した人たちは北海道で様々な仕事に従事しました。残っている記録から、富山県から移住した人たちの多くが農業に従事したと言われています。この他に漁業に従事した人もいます。当時の北海道は未開拓の地だったこともあり、移住することで誰もが成功できるチャンスがありました。

当時北海道に入植する人たちは船で移動しました。移住者を乗せた船は最初に函館港に入ります。さらに移住する場所に応じて小樽港に入港してそこから上陸した人もいます。入植者の中には北海道の新しい地で商売を成功させた人達もいて、名をはせて故郷に錦を飾りました。このように入植者が北海道に渡った当時は東北地方だけでなく、富山県や新潟県など日本海側からも多くの入植者が希望をもって北海道に移住したことを忘れてはいけません。