北海道を開拓した入植者

入植者が北海道を開拓する

北海道は入植者が開拓をしていった歴史があります。本州から移住してきた人たちが定められた土地を受け取り、労働をしたり農業を通じて開拓していきます。明治に入ると本格的に北海道を開拓するために屯田兵を募りました。屯田兵とは明治時代に北海道の開拓や外部からの侵入を防ぐ警備などをする兵士や部隊を指します。

 

屯田兵制度

屯田兵の制度が設けられたのが1874年で翌年から実施されました。全国各地から入植者として移住した人たちによって開拓されていき、現在の北海道が成り立っています。今は札幌に北海道庁が設置されていますが、明治時代は北海道の中央機関と言ったら石狩が中心の地域でした。その後入植者は北海道各地に散らばり、それぞれの気候や風土に合う野菜を栽培するようになりました。当時の入植者の多くが何かしらの野菜を育てるために農業に従事していました。

開拓使は西洋の知恵や技術を導入しました。開拓についてはアメリカから豊富な経験がある人材を招聘し、様々な野菜を試験的に栽培し、試行錯誤をしながら現在は多くの野菜の生産地として知られるようになりました。過酷な労働条件に立ち向かい北海道の発展に寄与した屯田兵や入植者の先駆者のおかげで今の北海道の発展があります。

 

農業や酪農に携わったクラーク博士

入植者が北海道で農業に従事していたタイミングで、アメリカからウィリアム・スミス・クラーク博士が北海道にやってきます。この人物は明治9年に札幌農学校、現在の北海道大学を開校しました。様々な肩書を持つクラーク博士は、教育者の側面を持ちながら、農業発展のために農学教育の知識をフルに活用しながら、北海道の近代農業、そして近代酪農に貢献した人物として今でも親しまれています。さらに明治4年にアメリカの農業文化を取り入れるために米国農務局長のホーレス・ケプロンを招聘します。この人物は北海道の基本的な農業の開発計画をまとめました。このように北海道の農業は屯田兵や入植者と共にアメリカから来た人物が大きく関わっています。