北海道各地の発展の礎を築いた入植者たち

アイヌと蝦夷地

江戸時代までは北海道が日本として正式に認識されていなかったということもあり、北海道がどのような扱いをすればいいか曖昧でした。北海道にはそれ以前からアイヌ民族が住んでいて、蝦夷地と呼ばれていました。その蝦夷地をどのような扱いにするか試行錯誤を繰り返しながら、北海道を本格的に開拓しようという流れになったのが明治時代に入ってからです。明治以前はまだ蝦夷地と呼ばれていたころに幕府が直接治めようと考えました。

 

黒田清隆の功績

本格的に入植が始まったころに開拓使が設立されました。開拓使とは明治に設立された官庁で北海道の発展とロシアに対する危機感から日本を守るために開設された地方行政機関です。開拓使で名を知られるようになったのが黒田清隆です。黒田は北海道開拓に力を入れるべきだと論じて、大規模な北海道開拓の計画を推進していきました。このときにアメリカから農業の発展に貢献したホーレス・ケプロン、札幌農学校の設立や牧畜の発展に寄与したウィリアム・スミス・クラークなどを招聘しています。

 

各地に移住した入植者

開拓使が設立されて様々な整備が進んでいたタイミングで、大規模な北海道移民が始まります。これは政府が主導となり募集をしたもので、全国から入植者を募り移住させました。一時的なものではなく定住させる計画だったので、新規移民に米、金銭、農具などを与え農業に従事させました。この頃からの農業が発展し現在にも生かされています。また明治6年に農業などの開拓と並行してロシアから北海道を守る役割もあった屯田兵制を開始しました。北海道に近かった東北地方からの移民が屯田兵の制度で移住しました。

 

まとめ

北海道に来た入植者は各地に散らばりました。特に力を入れていた石狩地方に多くの人が入植し、その他には函館、後志地域や北見、胆振、十勝地方へ多くの入植者が移住しました。これらの地域は今でも農業や酪農が盛んな地域です。それぞれの地域に特色があり、栽培されている野菜の種類も異なります。長い歴史の中で試行錯誤をしながら入植者が北海道の各地に移住したからこそ、今の北海道の発展があり、多くの野菜の生産量1位が北海道になっています。