開拓時に農業が発展する
北海道の開拓が本格的に始まった際に屯田兵が編成されて兵士として北海道の警備にあたりました。屯田兵は家族と共に北海道に移り住み、厳しい規則の中で生活をしました。様々な作業に従事した屯田兵は、道路や水路の開発工事や建物の警備、災害があったら救援をサポートしたりしました。それだけでなく屯田兵が率先して様々な作物を育てて試験的に作物を育てる役割も果たしました。
屯田兵の制度が北海道の開拓、発展に寄与した役割は大きなものがあります。広大な土地をどのように活用するかが重要なポイントだったので、農作物だけでなく、牧畜を取り入れた大規模な営農をアメリカから取り入れて発展させていきました。
クラーク博士の業績
北海道の牧畜に深くかかわった人物がウィリアム・スミス・クラーク博士です。ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ、大志を抱け)の名言で知られるクラーク博士は北海道開拓の父と言われています。当時開拓途中だった北海道の地で大変な思いをしながらも、移住を決断しやってきた入植者に向けて、大志を抱いてほしいという願いが込められた名言です。クラーク博士はアメリカの大学のカリキュラムをそのまま札幌大学校(現在の北海道大学)に取り入れて農業の発展に尽力しました。欧米の大学と遜色ないカリキュラムとして明治政府からも認められたほど、北海道の発展のために教育の場を充実させていきました。
北海道の発展に寄与したホーレス・ケプロン
クラーク博士以外にもう一人の注目すべきアメリカ人がいます。その人物がホーレス・ケプロンです。この人物はアメリカの政治家、軍人として活躍し、アメリカ政府の農務局長時代に黒田清隆からスカウトされて北海道に来て農業の指導をしました。農業だけに留まることなく、道路建設や工業や水産業など多岐に渡りケプロンが携わった記録が起こっています。北海道は寒いので稲ではなく麦を作ることを推奨したのもケプロンです。この指導がサッポロビールの設立に繋がります。