北海道の開拓の歴史
北海道の農業の歴史は明治時代から本格的に始まりました。まず日本の政府が開拓使を東京に設置しました。開拓使とは北海道の開拓のために設置された官庁で、北海道を本格的に国策として変えていこうという思いから、様々な資源の開発に努めました。
アメリカスタイルで発展する
日本は北海道を国力増強で活用したいと考えました。国策として国が主導でインフラ整備を積極的に行うことで、北海道農業の基礎を構築しようと考えました。このときに蝦夷地を北海道と改めて、黒田清隆を開拓使の次官に任命しました。明治4年には開拓使の長官を札幌に置いて本格的な活動が始まります。北海道に農業を根付かせるためにアメリカから招聘した、米国農務省長官を務めていたホーレス・ケプロンが来日し、開拓使の顧問として北海道の農業の開発計画を提案しました。
今でこそ北海道で様々な野菜などの農作物が栽培されて全国1位の産地として名をはせる野菜もありますが、この農業の発展はケプロンが基礎を作り上げました。そして試行錯誤を重ねて、今でも受け継がれている北海道農業に必要な指針をまとめたのです。北海道の入植者は、青森県、秋田県、岩手県、宮城県などの東北地方から移り渡った人が多く、その人たちが冬の厳しい寒さを乗り越えて、野菜を作ってきた歴史があります。
入植者の活躍
入植者は北海道各地に入植し、函館や十勝、北見や石狩など、それぞれのエリアで様々な野菜を作っていきました。また北海道は海に囲まれているので、農業だけでなく漁業も発展していきました。現在北海道では玉ねぎ、じゃがいも、大根、かぼちゃ、ブロッコリー、アスパラガスなど多くの野菜が収穫量で上位になっています。各地域で異なった野菜が名産地になっているのも、考えられて開拓されてきたからです。海を渡って北海道に入植してきた人たちが様々な努力を重ねて偏ることなく、それぞれの地域の気候や風土、地形や位置を十分に考慮しどの農作物がその土地で育つかを考えて発展してきました。